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コラム COLUMN

理事長コラム

風鈴と日本人

梅雨が明け、いよいよ暑い夏になりました。
日本はオリンピック・パラリンピックの安全・安心な開催に向けて官民が頑張っています。アスリートたちの引き締まった顔が映像で映されるたびに、それが誰であれ声援を送りたくなります。
でも何となく気が晴れません。この暑さと、毎日のコロナ感染者数のレポートのためでしょうか。

そんなとき、窓の外でチリチリーンという可愛らしい音がしました。
風鈴です。よく通る音です。さっきまでの重苦しさがスーっと消えて行くのが分かりました。

日本人は季節の移ろいに敏感です。古来自然を愛で、怖れることで自分の存在を確認し、喜びや悲しみを分かち合ってきたように思います。それは元旦の諸行事に始まり、七草がゆ、節分と進み、大晦日の除夜の鐘まで続く年中行事と、それに付随する多様な料理によって日常的に確認されてきました。それらが各地域で独特の色合いをもって人の心を和ませてきました。

こうした習慣を通じて日本人の間には、ものごとには固定した実体があるのではなく、何事も揺らぎ、移ろうもの、一直線に進むのではなくゆるく循環するものという思想が根付いたように思います。そしてその移ろいを愛で、そこに身を任せてきました。その結果自分と自然の間には明確な境を置かず、行ったり来たりすることで自然と一体になってきました。それだからこそ寒い冬も、暑い夏も過ごすことができたのです。

エアコンなどなくとも、ちょっとした工夫と心がまえでそれができました。そのための何気ない知恵のひとつが縁側です。それは家の中の廊下でも、外の庭でもありません。その両方なのです。張り出した軒の下にありますが、雨がかかることも厭わず、「濡れ縁」といって大事に保全してきました。

暑い夏の夜は、浴衣姿で縁側に座って月を見たり、蝉の声を聴き、それが秋の虫の音に変わるのを半ば楽しみに、半ば惜しんで過ごしました。何事も過ぎ行くものを惜しみ、そこまで来ているものの気配を感じ、心待ちにしてきました。京都で「名残り鱧(はも)」という言葉を聞いたときの感動はいまでも忘れません。「秋きぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる」という和歌ほど、日本人の季節感の繊細さを表したものを知りません。

ある明確なものから、次のものへと移る過程を楽しんできました。暗闇や真昼間の太陽よりも、暁、東雲(しののめ)、曙などの移ろい、グラデーションを愛でてきました。

風鈴がこれほどこころを和ませてくれるのは何故でしょう。
鈴はひとがつくり、音を鳴らすのは風、つまり人と自然のささやかな協働作業だからではないでしょうか。縁側のように、内でも外でもない、その両方のようなところに、ひとだけでも自然だけでもない、その両方がつくる音が、魔法のような響きをもつのでしょう。

日本の文化芸術は、こうしたこころから生まれるのだと感じました。


公益財団法人横浜市芸術文化振興財団
理事長 近藤誠一

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