コラム COLUMN
共感するということ
社会全体がコロナ対策に明け暮れ、異常気象に翻弄されているうちに、秋が来ました。
秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる (藤原敏行『古今和歌集』)
有名な和歌ですが、これほど日本人の季節感の繊細さを表す歌はありません。いま久しぶりの秋の日差しに、庭の木々が嬉しそうに風に揺れているのを見て、こちらの気持ちも和みます。
植物が、言葉やジェスチャーで「嬉しい」と言っているわけではありません。でもそうであると確信できるのは何故でしょう。他の動物たちも、植物をみてそう感じるのでしょうか。
それは人間には「共感力」が発達しているからです。
大脳の新皮質にミラー・ニューロンという細胞があります。ゴリラやチンバンジーなど霊長類の一部にしか見られないもので、他の仲間の行動の真似をする機能を果たします。自分が他と同じ動きをしてみることで、相手の行動の動機が分かり、さらにその背景にある心の動きまで分かるようになるのです。仲間のチンパンジーがバナナに手を伸ばすのを見て、自分もやってみると、「ああ、あいつはこのバナナを食べようとしているのだな、食べたいのだな」ということが分かるのです。
何故このような細胞が人間で発達したのでしょう。人類は700万年前にアフリカに誕生しました。そして世界にゆっくりと広まっていったのですが、それは容易なことではありませんでした。比較的安全で食料も豊富な熱帯雨林から追い出され、草原で暮らさねばならなくなった祖先たちは、常に飢えと、肉食獣の攻撃と、疫病に耐えねばなりませんでした。10才までに人口の半分が死んでしまう過酷な環境でした。
そこで群れを大きくすることで生き抜くことを学びました。しかしまだ言語が発達する前ですから、となりの部族から来た人間が敵か味方かを見極める努力をしなければ、簡単に群れに入れるわけにはいきません。そこで発達したのが、相手のしぐさの真似をして相手のこころを読み、共感を持ち合うという能力なのです。
そして群れでは屈強の男たちが餌を猟ってきて仲間と共食しました。また通常赤ちゃんは3才になるまでお母さんが腕に抱いて母乳をやらねばなりませんが(ゴリラはまさにそうです)、それでは人口を保てません。そこで1年で赤ちゃんを腕から降ろして離乳させ、群れが共同保育でその子の面倒をみることで、お母さんはすぐ次の子供をつくることができるようにしました。しかし赤ちゃんはたった1年でお母さんから離され、寂しくて、不安で泣きました。そこでお母さんは遠くからやさしい声で話しかけて赤ちゃんをあやしました。それが子守唄の起源です。すべての民族に子守唄がありますが、いずれも高いピッチ、単純な言葉の繰り返しが多いなど、赤ちゃんを安心させる工夫がなされています。そしてこれが音楽や踊り、宴会などへと発展し、共同体の結束を確認し合う有用な役目をもったのです。
こうして一緒に食事をし、文化芸術を楽しむことが、共感力の醸成、発展の重要な手段となりました。人間はこの共感力の発展のおかげで群れを地球規模に広げ、生き延びてきました。文化芸術は、不要不急ではなく、人間の生存とこころの安定のために不可欠なものなのです。
この共感力は、やがて他の人間だけでなく、対象を動物などにも拡大してきました。いまのペットブームはその結果のひとつでしょう。そして誰よりも自然を愛でる日本人は、植物にまで共感力をもつようになったのです。秋の日差しの中で風にそよぐ草木の姿に、自分の気持ちを投影するのです。
日本人の感性を、やや科学的に説いてみました。
公益財団法人横浜市芸術文化振興財団
理事長 近藤誠一